トップケースをつけた瞬間に消える憧れていたシルエット
気に入って選んだはずの愛車に、機材を積むためのトップケースを装着した瞬間、少しだけ寂しさを覚えたことがあります。すっきりとしたテールまわりの余白が、四角い箱によって埋められてしまうのを見るたびに、写真を撮るために必要な装備と、眺めていたい姿とのあいだで気持ちが揺れてしまいます。
撮影という目的のためには積載量が欠かせない一方で、購入時に惹かれたあの流れるようなラインを、自分の手で崩してしまっているような感覚も拭えません。駐輪場でふと振り返ったときに感じる、あの小さな違和感が、思っていた以上に心に残ることに自分でも驚かされます。
写真を撮るために選んだはずの装備が、被写体としての愛車の魅力を少しだけ削いでしまうという矛盾に、複雑な気持ちを抱くこともあります。
見た目と機能どちらも諦めたくないという我儘
本音を言えば、見た目も機能も両方を妥協したくないというのが正直な気持ちです。容量の小さいバッグに変えればシルエットは保てますが、今度は機材を持ち出せる範囲が狭くなってしまいます。
逆に積載を優先すれば、愛車を眺める楽しみが少しずつ薄れていくようで、どちらを選んでも小さな後悔が残ります。撮影に出かける日と、ただ愛車を眺めて過ごしたい日とで気分が違うことに気づいてからは、この揺れ動き自体が悪いものではないと思えるようになってきました。
この我儘な悩みこそ、写真とバイクの両方を大切にしたいと思っているからこそ生まれるものなのだと、最近になって気づきました。
「今の一台」との付き合い方を見直す静かな時間
答えを急いで出す必要はないのかもしれません。日によってバッグを付け外しし、身軽に走りたい日と、機材をしっかり積みたい日とを分けてみるだけでも、気持ちの落としどころは見つかります。
今の一台と、これから先どう付き合っていきたいのかを、焦らず静かに考える時間そのものが、この趣味の一部なのだと思うようになりました。答えが変わっても構わないという柔らかさを持てると、この葛藤も少し楽しめるようになってきます。
この揺れ動く気持ちごと愛せるようになったとき、ようやく今の一台と本当の意味で向き合えた気がしています。完璧な答えを探すことより、揺れながらも共に過ごす時間の方が、きっと大切なのだと思うようになりました。
そんな小さな葛藤も含めて、この趣味の味わい深さなのだと感じています。


