愛車との距離感。振動と積載のストレスについて

黒のクラシックバイク

ひとめぼれして迎えた愛車。

その美しいシルエットを眺めるだけで満たされていたはずなのに、カメラという趣味に出会ってから、少しだけ関係性が変わってきました。

今回は、写真を撮るために走るからこそ見えてきた、バイクの振動や積載に対する小さなストレスと、愛車との距離感についてお話しします。

クラシカルな佇まいと引き換えにした、カメラを積むための余白

私が乗っているのは、昔ながらの丸いヘッドライトと美しいタンクの曲線が特徴のバイクです。

そのクラシカルな佇まいに惹かれて選んだのですが、いざカメラ機材を持ち出そうとすると、少しばかり不便を感じるようになりました。

シートの面積は狭く、ツーリングネットを引っ掛けるフックの場所も限られています。

大切なカメラを入れたセージグリーンのバッグを、どうすれば安定して積めるのか。

リアシートと睨めっこしながら、出発前に何度もネットを掛け直す時間は、まるで複雑なパズルを解いているようです。

デザイン性を優先した結果、実用的なものを積むための「余白」が削られていたことに、写真を撮るようになって初めて気がつきました。

ふらっと走り出すはずだった身軽さが、パッキングのたびに少しずつ奪われていくのを感じていたのです。

路面の凹凸を拾うたびに募る、見えないダメージへの不安

ようやく荷物を固定して走り出しても、今度は走行中の「振動」という見えないハードルが待っていました。

見た目重視の硬いサスペンションは、路面の小さな段差やひび割れを、ダイレクトに車体へと伝えてきます。

ガタン、と突き上げを感じるたびに、「バッグの中のレンズは大丈夫だろうか」「精密なセンサーに影響が出ていないだろうか」と、気が気ではありません。

本来なら風を切る心地よさを味わうはずの時間が、いつの間にか機材を守るための緊張感にすり替わってしまっている。

素晴らしい景色を探しにきたはずなのに、路面の凹凸ばかりを目で追ってしまう自分に気づいたとき、走る楽しさがほんの少しだけ削られていくような気がしました。

好きだからこそ目を逸らせない、撮る楽しさとの小さなズレ

バイク自体が嫌いになったわけでは決してありません。

ただ、私のライフスタイルの中で写真を撮ることの比重が大きくなるにつれて、愛車の得意なことと、私のやりたいことの間に、静かなズレが生まれてしまったのだと思います。

「あそこの夕焼けを撮りに行きたいな」という気持ちよりも、「準備が大変だし、振動も気になるから今日はやめておこう」というためらいが勝ってしまう。

それは、写真という大切な表現を自分自身で狭めてしまうようで、とてももどかしい感情です。

好きだからこそ、無理をして付き合い続けるのではなく、今の自分の等身大の趣味と、愛車との距離感をそっと見つめ直す時期が来ているのかもしれません。

バイクと自分の波長が合わなくなってきたと感じるとき、それは決してネガティブなことではなく、自分の好きなものがより明確になった証なのだと思います。

もし今、愛車との間に小さな窮屈さを感じているなら。

焦らずゆっくりと、次の心地よい余白を探すための準備を始めてみてもいいのかもしれませんね。